小雪舞う 師走の空へ逝った父へ・・・ |
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2019年 01月 04日
12月26日(水)午後10時ごろ、私の携帯が鳴りました。 発信元は父が入所している施設。 この瞬間、私は、ただならぬ事態を予感しました。 案の定、電話口から聞こえたのは 父の急変を知らせる男性スタッフの慌てた声。 「今、救急隊員の方が 気管挿管と心臓マッサージをしています。 搬送先は追って連絡していますので準備してください!」 電話の向こうで聞こえる救急車のサイレンが 不安を一層掻き立てました。 間も無く搬送先の連絡があり 私は取るものも取りあえず 母の手を牽いて車に乗り込んだのです。 照明の落とされた薄暗い病院で 唯一、煌々とした明かりが漏れてくるのは 半開きになった処置室の扉から・・・ 時折、「体から離れて下さい」と 電気ショックの合成音声が聞こえていました。 父に同行してくれた施設の女性スタッフは 目に涙を浮かべています。 この時、男性スタッフから 父が急変した時の様子を聞くことが出来ました。 「食事も普通にされて お部屋に帰られて おやすみの挨拶もしたんですが・・・ そのあと、眠られた時に職員がお父様の呼吸がおかしい事に気付きました。 ゼイゼイとした呼吸に変化していたんです。 やがて呼び掛けにも反応しなくなり 目の焦点が合わなくなりました。 そこで施設内のAEDを使いながら救急車を呼んだんです・・・ ホントに・・・あっという間で・・・」 やがて、処置室の扉が大きく開くと 私達は遂に 煌々とした明かりの中へ呼ばれたのです。 「あらゆる蘇生措置を行いましたが波形に変化が見られません。 今をもって蘇生措置を終了させていただきます。 時間は午後10時40分・・・」 医師から告げられた臨終の宣告でした。 最後のCT検査の結果 父の死因は急性心筋梗塞だと判明。 容体急変から1時間ほど・・・ あっという間でしたね。 私と父との間に自転車の繋がりは殆ど無いのですが ただ一度だけ、二人で小豆島へサイクリングに出かけた事がありました。 私がまだ二十代前半、 その時、父は既に六十代になっていたでしょうか。 ツーリング車を新しく買ったので 古いMTBと合わせて自転車が2台あったんですよね。 小豆島は最短で回れば60㎞ほどです。 一日かければ周れるだろうと・・・ しかし父は20㎞ほど走った南風台で脚が売り切れてしまいます。 早すぎる緊急事態に大部港までどう戻るか悩みました。 結局、元来た道を 上りは歩いて 下りは自転車に乗って帰った記憶があります。 とても自慢できるサイクリングでは無かったのですが 自宅に帰ってから父は 殆ど一周したかのように友達や近所の人に話していると、 母から聞いたのを憶えています。 その後、十何年かして 父もご多分に漏れず 徐々に認知症に侵されていきました。 診断はアルツハイマー型と脳血管性の併発。 特に徘徊の症状が大変でした。 自宅にいても「家に帰る」と言って 外に出てしまうのです。 症状の進行を遅らせようと 夕食後、二人で簡単な計算問題を解きながら散歩したりしましたが 認知症の進行には殆ど無力だったように思います。 行方不明になって警察のお世話になった事もありました。 外に出る父をどうしても止められず 何時間も父の後ろに付いて歩いた事も度々ありました。 父も、自分が、どうもおかしいと感じていたはずで それを受け入れられず辛い日々だったのではないかと思います。 加えて、24時間、見守らなければならない母の負担は非常に大きく 在宅介護はもう限界でしたね。 そんな時、やっと特養への入所が認められたのです。 特養に入ってからも暫く 父は相変わらず「家に帰る」と言って外に出ようとしていました。 荷物はいつでも帰れるようにまとめてあり 面会に行くと「帰る」という父をなだめるのが大変でした。 「お父ちゃん、今日は泊まりで警備の仕事やで」とか 「お父ちゃんが帰ってきたら給料もらわれへんやん」とか まあ、色々、言って、無理やり置いてきていました。 しかし、やがて 介護スタッフの介護のお陰で 介護施設を自分の居場所だと認識する様になりました。 それからですかね。 本当の意味で 彼にとっての幸せな日々が続いたのは・・・ 父は元々、サービス精神旺盛で人を笑かす事が好きだったんです。 ですから、しょっちゅう冗談を言ってはスタッフを笑わせていました。 施設の夏祭りに参加した時の事。 出会うスタッフの方々が次々に父に敬礼をするんです。 それが可笑しくて・・・ 実は私の父は自衛隊の前身である保安隊に所属していたことがあるんです。 それで、だと思うんですが スタッフの皆さんに敬礼を教えていたみたいで・・・ スタッフの皆さんも面白がって父に敬礼するので ああ、父は人気者なんだなと感じました。 実際、スタッフの方にも 父と接していると癒されると褒められたことがあります。 そんな父を私は誇らしく思いました。 12月28日(金)の通夜に来て頂いた介護スタッフの方々は 皆さん、泣いて下さっていました。 父と最後の対面をしたあと 担当されていた女性スタッフの方が私の所に挨拶に来られたんです。 「お父様が今でも、部屋からひょっこり・・・」 彼女は涙に声を詰まらせて言葉を続けることが出来ません。 私も号泣しながら お礼の言葉を述べるのが精一杯でした。 「父は・・・・ 皆さんのおかげで・・・・ 最後の最後まで・・・・ 幸せな人生を送ることが出来ました。 有難うございます!」 小雪舞う 師走の空へ逝った父へ・・・ 「ありがとう」 享年八十八歳 ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。 そろそろ、ブログを書こうと思います。 そして、そろそろ、走り始めようと思います。 このブログは、にほんブログ村ロードバイク部門ランキングに参加しています。 下のバナーをクリックして人気投票していただけると嬉しいです。 ポチはどれでもひとつでいいですよ。 読んだら忘れずポチしてね。 にほんブログ村
by a-elf
| 2019-01-04 19:34
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