幸せな自転車乗りは心の報酬をやり取り出来ているか? |
ここで言う「報酬」とはお金の事ではありません。
満足感や達成感、爽快感など
心が得られる報酬です。
まず、スポーツはどれもそうだと思うのですが
日常から脱出できます。
体を動かす事に意識が集中しますから
日常の細々としたことを考える事が不可能になります。
前を行くローディーを追ったり
下りコーナーをクリアしたり
そんな時に仕事のノルマを達成するにはどうしたらいいだろうとか
顧客に迷惑を掛けたお詫びをどうすればいいだろうとか
考えられませんから。
ここから更に自転車は脳内に快感物質を分泌させることが出来ます。
高速巡航をするとそのスピードが気持ちよかったりしますが
そういう時は脳内に
ドーパミンという快感物質が分泌されているんですね。
更に苦しくても限界近くで走り続けていると
エンドルフィンという快感物質が分泌されます。
ヒルクライムなんてそうじゃないですかね。
あんなに苦しいのに上りが好きな人、いますから。
このエンドルフィンが出るような状態を
「ランナーズハイ」と呼ぶそうです。
こういった快感が得られるから自転車の虜になってしまうわけです。
しかし、こういった「快感」という
言わば直接的な「報酬」だけではない事を最近つくづく感じます。
それはある程度の距離を移動出来ることから
「旅」的要素の楽しさであったり
一緒に走る事で友と繋がれる喜びであったりします。
グループサイクリングなんて快感の塊です。
例えば臨時漕会で
瀬戸内海から日本海まで行って帰ってきた時は
最後のだるま珈琲は至福のひと時でした。
こう考えると私たちローディーの心が得られる報酬は
かなり高額であると言えるでしょう。
言い換えれば、私たちは自転車に乗るだけで
ある一定程度の幸せを保証されていると言えるのではないでしょうか。
私たちが得られる心の報酬は大きいですから
私たちはかなり豊かな部類になるでしょう。
言うまでも無く豊かさとは経済的なものだけで決まるのではありません。
むしろ心が得られる報酬の方がウエイトが大きいのです。
例えば経済的にどんなに豊かでも
見捨てられた子供は貧しいでしょう。
逆に、経済的に貧しくても
親から愛情(報酬)を注がれた子は豊か(幸せ)なのです。
確か、どこかで読んだ気がするのですが
江戸時代末期、江戸を訪れた外国人が
日本には貧困が無いと驚いたそうです。
実際は庶民は経済的には非常に貧しいのですが
人々が、よく助け合って生きているので貧困が無いという事だったらしい。
実はこの「助け合う」という心が
経済的だけではなく、豊かな国を築く上で最重要な要素なのかもしれません。
しかし、私たちは経済が豊かになるにつれ
何が最重要であるかを忘れてしまったのかもしれません。
いや、分かっていると口では言いながら
やはり経済的豊かさに実際は重きを置いて来たのではないでしょうか。
前回のブログの記事の余韻が心にまだあるので
こんなことを書いてしまうのかもしれませんが
淳君を取り巻いている人々が
江戸時代末期の江戸の人々と重なるんですよね。
経済的な報酬を得られる訳ではないのに
「営業」と称して淳君の作品展の広報活動をするママ友たち・・・
おそらく、彼女たちは心の報酬は得ているのだと思います。
それは主に淳君から頂いているんでしょうね。
もちろん、淳君も
そりゃもう、大変沢山頂いているんですけどね。
お互いに心の報酬のやり取りが成立しているのだと思います。
私たち自転車乗りは
自転車に乗る事で大きな心の報酬を得ているんだと思います。
しかし、心の報酬のやり取りまでは・・・
やっぱり、出来ているような気がしません。
自分ばかりが豊かになってる・・・
はりまシーサイドロード沿いで開催される淳君の作品展・・・
そこに立ち寄るだけで
心の報酬のやり取りが出来ると思うのです。
何が本当の豊かさなのか?
幸せとは?
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
自分たちだけが豊か(幸せ)になるのではなく
共に幸せ(豊か)になる行動をすることで
何かがいい方向に動きそうな気がします。
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私も、ロードバイク・ブログの皆さんから
色々頂いてます。
萎えそうな心を蘇らせてもらって、ほんと
に感謝しかないですね。
沢山の報酬を頂いています。
もちろん、お金じゃありませんよ。
自転車友達が増えて世界が広がりました。
ブログを続けると言うのは
かなり大変なんですが
その見返りは大きいんです。
そう考えるとやはり
ギブ&テイクが成立しているんですよね。

