美女と巡る瀬戸内歴史探訪ポタリング |
味わう様に自転車を走らせてみないか。
数字の魔力から解き放たれた時、忘れていた何かがよみがえってくるかもしれない。
風に込められたメッセージを読み解いてみないか。
磯の香り、波の音、菜の花の匂い、子供のはしゃぐ声。
目の前に広がる景色を前にしたなら、立ち止まって遠くを見よう。
自然は無言のまま、語りかけてくるに違いない。
連休最終日、私はMYさんとポタリングに出かけた。
日頃は神戸でビアンキのクロスバイクを愛用しているのだが、
今日はいつものメンバーが不在のため、車載出来ない。
輪行は勘弁してほしいとの事で、私のジャイアントを貸してあげた。
ブログに載せる事は了解済み。
写真を撮るので、いつもの買い出しみたいな大きなリュックと
日焼け対策用のキャディーさんみたいな帽子はやめてもらう。
せっかくの美人が台無しになる。
これが私が彼女に伝えたドレスコードだ。
「かしこまり!」
いつものように簡潔な返事がメールで返ってきた。
海に出るためには坂を2回越えなければならない。
私にはなんともない坂だが彼女にとってはそこそこのヒルクライムだ。
先の見えないカーブでは、そこが頂上かとだまされる。
「今度は頂上よね?」
と息を切らせて私に確かめながら世間話のオンパレード。
脚の回転が遅くても、口の回転がそれだけ回っていれば大丈夫。
坂を下って海までの直線。
旅館街の建物で隠れていた海がドラスティックに姿を見せる。
突然開けた視界に広々とした干潟。
景色に圧倒されるように立ち止まる。
あれだけ回転していた口が止まる。
「神戸の海とは香りが違うわ」
まだ冬の余韻の残る風に吹かれてあたりを見回す。
浜で騒ぐ子供の声も、ここでは広さも手伝ってうるさくは無い。
波の音と同じ、自然の一部に思える。
海面に太陽が反射してキラキラ輝く。
遠くを漁船が横切って行く、そのエンジン音でさえのどかである。
私が都会人のMYさんに見せたかった景色だ。
ゆったりとして会話の少ない時間が過ぎていく。
子供連れやカップルが多くいた。
みんなカメラを片手に、にわかカメラマンだ。
「すごい菜の花の香りね!」
人間の嗅覚は心にも通じているのだろう。
菜の花の匂いを嗅げば、心もどこか春めいて来るから不思議だ。
隣のカップルが彼女を菜の花畑に立たせて何枚も写真を撮っていた。
「いいよ~かわいいねぇ~」なんて彼氏が言いながら
彼女はピース!なんてポーズしている。
私らもシャッターチャンスであるから写真は撮るが、
お隣のカップルと違いすべて後ろ向きの写真を撮っているのが
この菜の花畑にあって異様と言えば異様である。
「今のポーズいいよ~でもちゃんと後ろむいてね~」
「あっ、今顔こっちむけないでねぇ~」
なんて写真を撮っている私らを見て隣のカップルはどう思っただろうか。
途中、オープンしたばかりの道の駅に立ち寄ったが、すごい人。
私たちは自転車なので駐車スペースには困らないがMYさんは曇り顔。
そういえば彼女からのリクエストを忘れていた。
連休でも混まずにいい所。
ひとつ付け加えておくと、ここのトマトソフトの味は微妙らしい。
若い女性二人組が「びみょーびみょー」と言いながら歩いていた。
御当地ソフト真っ盛りだが
何でもソフトクリームにすればいいってもんじゃないと思うのだが・・・
道の駅をあとにいよいよ目的地の室津に向かう。
そう室津は歴史のある漁村だ。1300年前に行基によって開かれたとか。
そして、竹久夢二、井原西鶴、谷崎潤一郎、司馬遼太郎、平岩弓枝などの文豪たちにも
とりあげられている。
テレビ小説の舞台になってもおかしくない、それだけのポテンシャルは秘めている。
かと言って、今は小さな瀬戸内の漁村だ。
道が狭く、家と家が近い。
そこかしこに干してある魚の干物。
孫といっしょに網の手入れをす漁師。
魚をねらう猫。
人々の生活が近すぎて観光地という言葉は似合わないかもしれない。
腹が減っては観光出来ぬ。
そろそろ昼時、ネットで調べていた料理屋は満員。
第二候補のお好み焼屋も満員。
さすがは連休。いたしかたない。
私たちは集落のはずれにある、喫茶・軽食と書かれた看板の店に立ち寄った。
客は全然いない。この連休にいないというのもいささか不安ではある。
しかも、この店にはメニューが無い。
これはもっと不安である。
「なにか食べさせてもらえますか・・・」
の質問も変であるがそれしか言いようがない。
「定食ですか?」
「ええ、まぁ・・・じゃあ定食お願いします」
お願いしたものの何定食かわからない。
どうもおまかせの様である。
店内を見回してみるとこの店のシステムがだんだん理解できてきた。
この店のメインは居酒屋である。
昼はその仕込みをしながら食べに来た人にはおまかせで定食を出しているようだ。
きっと夜には地元の漁師達が集まってワイワイガヤガヤと賑わうに違いない。
私たちは、もろ地元スタイルの店に入ってしまったようである。
「魚尽くしですけど・・・」と出された料理。
いかなごを蒸したものは三杯酢でいただく。
サザエの煮つけに魚のあらの味噌汁。
そしてなんといっても、この焼き魚である。
炭火で焼いたというこの魚だが、この焦げ過ぎた感じが素人っぽくていいじゃないか。
もしかしたらこの店に入って正解かもしれない。
この料理は、もろ地元の人が食べている料理じゃないか。
室津の母の味である。
これが、こぎれいな人気料理屋なら、
こんな素朴な地元料理にはお目にかかれなかっただろう。
「実は私、このいかなごの蒸したのが食べたかったのよ。
いかなごのくぎ煮は、神戸でもいっぱいあるじゃない?
でも、いかなごの蒸したのは案外無いのよね」
「今日は海に行くっていうから口が魚を食べる口になちゃってたみたいで
魚たべたい!って思ってたからよかったわ」
昼食後、最初に訪れたのは
室津海駅館である。
近世から近代にかけて活躍した豪商「嶋屋」の建物が資料館として開放されている。
室津は参勤交代の西国の大名がほとんど訪れた宿場町で、
大名が宿泊する本陣が6軒もあったそうである。
館内には大名が食べた料理のレプリカが展示してあり、予約すれば実際に食べる事も出来る。
「大名って今の御馳走と変わらないもの食べてたのね」
「この座敷机高いわよ」
「シーボルトって室津にきてるのね」
なんて言いながら、まるでテレビのお宅拝見みたいに家の中をのぞかせてもらった。
室津海駅館で買った300円のチケットで一緒に見れるのが
室津民俗館である。
ここも江戸時代の豪商「魚屋」の建物を開放して資料館にしている。室津海駅館と比べると、いささかこちらの方が地味ではあるが、貴重な古い写真が展示してある。
古き良き時代の日本がそこにある。
「この人、俺のおじいちゃんにそっくり!」なんて写真もあった。
漆塗りの食器類には全部カタカナで「魚屋」の「ウ」の文字。
雛人形は豪華絢爛、芸術品だった。
最後に訪れたのが
賀茂神社。
平安の頃からほぼ現在の様な社があったらしい。
ここは町の方から登ると急な長い階段を登らなくてはいけないが、港側から登ると坂を登る。
私たちは自転車なので、港側からアプローチした。
と言っても坂が急だったので自転車を下に置いて歩いて行ったが。
最後の賀茂神社から
もう一度海を眺める。
昔も今も変わらない海。
瀬戸内の島々。
基本は何にも変わって無いのかもしれない。
昔の人もきっとこの海を見ながら
ボーっとしたりしたんだろうな。
昔の人も風に込められたメッセージを
読み解いていたんだと思う。
磯の香り、波の音、菜の花の匂い、子供のはしゃぐ声。
ロードバイクからサイコンを外しポタリングに出かけてみないか。
忘れていた何かがよみがえってくるかもしれない。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございます。
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感心しますわ