善入寺島と潜水橋(沈下橋)の景色 |
前回からの続きです。
明らかに雪を降らせながら移動している雲に追われるように
私たちはコンビニを出ました。
吉野川沿いを走りながら
ボーンズさんは観光ガイドをしてくれました。
「ボーンズさん、さすが吉野川ですねぇ~
堤防がデカい!」
「吉野川は四国三郎という異名を持っていて
日本三大暴れ川のひとつなんですよ」
「う~ん・・・
なんか、教科書で習ったような・・・」
「善入寺島というのは吉野川の中州(川中島)の事で日本最大なんです。
昔は人が住んでいて学校とかもあったそうです。
でも暴れ川でしょ。
今は無人島で農地が広がっています。
この善入寺島に入るには潜水橋(沈下橋)と言って
洪水の時には沈む橋を渡らなければならないんです」
「潜水(沈下橋)?聞いたことあるぞ。
高知の四万十川にもあるよね」
「そう、ありますね」
「ここから善入寺島に入るんですが・・・
どうしようかな・・・」
「ボーンズさん、せっかくここまで来たんだから
少しくらい濡れても構わないよ。
潜水橋(沈下橋)渡ろう!」
「じゃ、行きましょうか」
善入寺島は1915年(大正4年)に遊水地として全島買収されるまでは
約500戸、3,000人が島内に住んでいました。
古くは粟島と呼ばれ阿波の国の語源にという説もあるそうです。
当時は複数の村で構成され二つの学校と複数の神社が存在していました。
全島買収と言っても国から強制退去命令が出されての移転でしたから
故郷を追われた人々の悲しい物語があったのです。
ただ善入寺島は1915年の強制退去後も元住民に耕作は認められ、
現在は約560戸がダイコンやナス、キュウリなどを栽培しているそうです。
残念ながら工事中ですが・・・
善入寺島を越えて向こう側の潜水橋(沈下橋)に方が綺麗です」
「ちょっと待って・・・
ここに石碑がある・・・
なんて書いてあるんだろう・・・」
「猿・・・
猿田彦と読める・・・
ここに猿田彦に関係する何か・・・
神社とかあったのかな?」
何があったかは分かりませんけど・・・」
まるで故郷を追われた人々の苦難の歴史に思いを巡らす様に
石仏は善入寺島の方角を見ていました。
「じゃあ、善入寺島へ行きましょうか」
私たちの予想をはるかに超えたものでした。
「な、なに!この景色!
まるで北海道みたい!」
「これが、中州(川中島)?」
「広大な平野だよね」
「なんだか気持ちが大らかになるぅ~」
「いいなぁ~
ここの景色は独特だねぇ~」
「まさか、善入寺島の景色に
これだけ食いついてくれるとは思いませんでした」
「この景色は播州には無いもの」
「さ、さ、コギコギさん
あの潜水橋(沈下橋)を渡りましょう」
綺麗な水・・・」
「潜水橋(沈下橋)渡るの初めて」
「川が近いね」
私たちは広大な善入寺島を横断し対岸の堤防にやってきました。
ここからは潜水橋(沈下橋)の全貌が見えます。
如何にも四国らしい景色です。
その他に潜水橋(沈下橋)には車も通ります。
橋の幅が狭いので
お互いに譲り合わなければ渡れません。
対向する時に待ち合わせる姿が人々の心の優しさを物語っている様です。
自転車が通りミニバイクも
ジョギングの人も通る・・
これが吉野川流域の人々の生活なのです。
「ボーンズくぅ~ん
鳴門スカイラインの坂は省略しても
善入寺島と潜水橋(沈下橋)の景色
省略したらアカンやろぉ~」
「そ、そうっすかね」
ボーンズさんは頭を搔きながら嬉しそうに笑うのでした。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
根性でブログ更新!
今日はここまで書いて力尽きました。
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