七十数年の昔へタイムスリップ |
私には今年81歳になる母がいるのですが
その母が最近、綺麗な川が見たいと言うようになりました。
彼女が見たい川と言うのは、ただ水が綺麗なだけではダメなんです。
恐らくは彼女が子供の頃に遊んだ様な川でなければなりません。
子供が泳げるくらいの深みがあって
けれど護岸工事がされていない。
蛍の時期になると橋を渡るときに、
ほうきを振り回すだけで蛍が捕れるほど蛍が乱舞していたらしいです。
私と高松の姉は方々手を尽くして母がイメージする川を探したんですが
残念ながら見つける事は出来ませんでした。
しかし、母が生まれ育った頃の集落の景色なら
もしかしたら私は知っています。
川の代わりというわけではありませんが
その景色を見せる事で少しでも母が元気になるのなら・・・
その景色とは私が「田舎砂漠」と呼んでいる練習コースのなかにあります。
九十九折れの坂道を上り切った先に視界が開けると
そこには茅葺屋根の民家が点在する集落が見えて来ます。
映画「黒い雨」やドラマ「八つ墓村」「火垂るの墓」のロケ地となった八塔寺です。
「母を八塔寺へ連れて行かないか?」
私は高松の姉と相談し
母の体調の良い時を狙って八塔寺へ連れて行くことにしました。
「俺は自転車で行くわ・・・
オカンに走っているところを見せておきたいねん・・・」
実は母は私が自転車に乗っているところを見た事がありません。
いや、正確には20年ほど前に
私が、はりまシーサイドロードを走っているところを見かけた事があるらしいです。
しかし私としては今の自分を見せたかった。
自転車に乗っている自分こそ恐らく、一番いい自分だと思うからです。
そして、いよいよ母を八塔寺へ連れ出す日・・・
高松から姉と甥がやってきて打ち合わせ。
八塔寺への道程を伝えました。
私が出発して40分後に追いかけてくる段取りです。
私は自転車乗りの正装として丸臨ジャージに袖を通しました。
母に見せるために走るのに
このジャージ以外選択肢はありません。
「そろそろ、追いついてくる頃かな・・・」
母にいつ見られてもいいように綺麗なフォームとぺダリングを心がけました。
そして、上郡から青木ゴルフ場へ向かう急坂で追いつかれました。
後部座席の窓は少しスモークがかかって見えませんが
あの窓の向こうで母が私を見ているはずです。
本当なら辛い坂道を平気を装って上りました。
その後、車は私を追い越しては止まりを繰り返しました。
そして八塔寺へ続く九十九折れの坂道を前に追い越され
頂上で待つ母のもとへヒルクライム・・・
30分ほど待たせたと思うのですが
集落へは進まず私の到着を外で待っていてくれました。
「ここから先は俺が自転車で誘導する!」
こっちへ来いのハンドサインを出しながら
軽やかにダンシングします。
私を前に走らせて緩い左カーブを曲がったところで景色はタイムスリップしました。
そこには作りもので無い日本の原風景が広がっていました。
姉に介助されて母が車から降りて来ます。
そして母は私の横に寄り添いました。
果たして彼女の眼に、この景色はどう映ったのでしょう?
その風の香りは彼女の故郷と同じなのでしょうか?
母はじっと見つめながら沈黙したあと静かに呟きました。
「あの家はキーちゃんの家に、そっくりやなぁ・・・」
母は七十数年の昔へタイムスリップ・・・
走行距離…125.26km
時間…5:23:03
平均速度…23.26km/h
最高速度…63.67km/h
平均CAD…75
積算距離…40750km
消費㌍…2889kcal
補給食…###kcal
心拍…Ave.137 Max.185
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もっと あちこち 一緒に行っておけば良かった。先に立たない後悔…というやつです。
せめて 今日は 優しくしよう。
私の田舎も山口県の似たような風景の所で、義弟に委せっぱなしで、一人残した母(85歳)のことを思い出してしまいました。コギコギさん、本当にありがとうございました。
初めてコメントします。
伊勢のカンパチです。よろしく、お願いします。
私の母は、もうすぐ80歳に手が届こうとしています。 最近、歩くのがやっとになりました。 実家で父と弟に介助してもらいながら生活しています。
実家も過疎化の波に呑まれ、逆に自然が豊かになりましたが、母の記憶の中の故郷には
遠く及ばないようです。
母の記憶に霞がかからないうちに昔話を聞いてみようと思いました。
岡山国際サーキットでフクちゃんさんとトレインで走っておられる際に
その「目」をモザ無しで初めて拝見しました。
「あ、こんな優しいカワイイ目の人なんだぁ」と。
そんなことを記事を読みつつ思い出したり、でした。
お母様とのツーショット画像。
コギコギさんの後ろ姿が「少年」のよう、に見えますね♪
ぼくも,今の自分が一番いい自分だと思っています。
そんな自分を両親に見せたい,そんな叶わぬ思いに駆られることがあります。
正装して,きれいなペダリングを心がけ,坂道を颯爽と駆け上がり,車を先導する ── さぞかしお母様は誇らしかったことでしょうね。最高の孝行!
PS:西播磨に私も行きたーい!特に牡蠣。(笑)
母親の存在というのはいくつになっても特別なのかもしれませんね。
手を引いてあげた時に感じる肌のぬくもりは
幼かったあの頃と同じです。
是非、手を握って上げて下さい。
私もsadagさんも同じような思いを持っているからでしょう。
きっとお母様もsadagさんの事を気にかけてらっしゃるんだと思います。
連絡してみますか?
私の母もそうですが、
子供の頃の思い出を語る母は生き生きとしています。
人生の中で辛い経験もたくさんしているのですが
子供の頃の記憶というのは
その辛さを越えて蘇って来るのでしょう。
お母様の記憶の中の故郷を知ることで
もしかしたら親子の絆が深まるかもしれませんね。
声や顔を色んな風に想像されているみたいです。
実物を見て「コギコギさんって、こんな声だったんですね」
なんて言われた事もあります。
カワイイ目と言われると照れますが・・・
褒めて頂いて有難うございます。
母の前ではいくつになっても子供は子供・・・
確かに、あの日、私は少年だったかもしれませんね。
ありがとうございます。
これからもブログ記事たのしみにしてます。
是非とも西播磨に牡蠣以外に行ってみたいと思います。
我が故郷に自転車同行で帰りたいものです 。
これからも楽しみに拝見させて頂きます。
とても幸せな事なのだと思うようになりました。
リキさんに背中を押されてこの記事を書いて
私の心の中で何か変化した気がします。
そういう意味でこの記事を書いて良かった。
親孝行のつもりは無かったのですが
最高の親孝行だと言ってもらえて嬉しいです。
私の記事がマルコさんの心の琴線に触れたのなら
筆者として嬉しいです。
マルコさんの孝行が叶いますようにお祈り申し上げます。
きっと絆が深まる事でしょう。
それから、西播磨の牡蠣は最高ですよ。
ホントです。
その姿をお母様に見せられるのは最高の親孝行だと思います。
僕はもう母親を失ってしまったので、いろいろと後悔している事も多いのですが、コギコギさんはどんどん親孝行してあげてください。母親に思いを伝えられなかった僕の分まで。
皆さんから助言いただいた事を胸に
母と接していきたいと思っています。
今回の記事を書く事で色々な方の気持ちを知る事となり
とても勉強になりました。
感謝しております。